旅立ち
二十歳の時、日本を飛び出る。
漠然と海外へ行きたい、旅をしたい、この世の全てを観てみたい!
とめどなく溢れ出る若かりし好奇心が自分を突き動かした。
陸路で周る事にこだわり日本を船で出発した後は中国へ、そして西を目指して進む。
チベットを抜け、ネパール、インド、パキスタン、その後中央アジア各国を渡りトルコ、そしてヨーロッパへ。
イタリアではご縁ができて半年間住んだ。
そしてアフリカ大陸へと突入した。旅出て2年目のことだった。

チベット、ここは標高5200m!
アフリカにて
アフリカはモロッコから入り、南下して行った。
その途中にセネガルやマリといった西アフリカの国々を通り、ガーナへと辿り着いた。
ガーナは西アフリカで数少ない英語の国だった。安定した国でもあり多くの観光客がいた。
そこに向けてファイアーダンスやアクロバットなどのパフォーマンスをする現地の人たちと出逢い、またその地で生きる多くの若者たちと出逢った。

ガーナにて
そこでの日々は今までの自分の人生を見つ直す深い日々だった
自分の何倍も濃く深い人生を送っている彼ら。自身の根本から揺るがす熱い鼓動を感じざるにはいられなかった。
そしてこの時の出逢いから、自分自身もパフォーマーとしての道を歩み始めた。
「生きるとは輝くことだ。今きみは生きている。それを全身全霊で表現するんだ」
彼らの言葉は自分探しをするこの胸に深く突き刺さった。
そしてこれ以降の旅は、今までとは全く違ったものになっていったのだった。

アフリカ・ガーナ。この時からパフォーマーとしての道を歩み始める
イタリア滞在
その後ヨーロッパに戻ると、アフリカで学んできたもの、この芸をもっと試すべく、路上パフォーマンスを始めた。
更により深く人と出逢う為にヒッチハイクで各地を巡ることを始めた。
お金を持たず、人とのご縁だけでどこまで行けるか。
路上で出逢い、稼ぎ、生きる。
大きなチャレンジだった。
これは人間の心と本質を学ぶ貴重な経験であった。

ベルリンの路上。路上は出逢いの宝庫だった
そしてイタリアに戻った。そこでしばらく腰を下ろす事にした。
動く旅から、住む旅へ。合計して5年間住む事となった。
その間は言語を学び、演劇の学校に通い、仲間と共に日々パフォーマンスを研磨した。
イタリア各地のイベントやフェス、TVにも出演した。

ナポリの演劇学校
ここでの経験は、アフリカに続き、この旅で得た大きな財産となった。
日本とは真逆の価値観を持つこの国にて、愛と芸術の感性を学んできた。
旅して駆け抜けた20代。パフォーマンスを追求し、人と出逢い、自分は大きく変化して来たのだった。

イタリア路上パフォーマンス
ハンドパンとの出合い
アフリカにいた時、太鼓ジェンベとも出合い音楽を始めた。
そのご縁があり民族楽器に強く惹かれる自分がいた。
その後にハンドパンを初めて見た時も、強い好奇心と憧れを瞬時に抱いた。
しかし当時、簡単には手に入れられない楽器であった。
しかしその後帰国した際、家の近所でハンドパンを演奏する方がいた。
その方の紹介を経て、自分はこの貴重な楽器を入手することができたのだった。
タイミングとしてもバッチリだった。それは全て神の計らいか、大きな流れによるものだった。
次のステージへ
30代は20代とは違った、自身の内面の変化を感じていた。
ガッツリとしたパフォーマンスよりも、より精神世界や自身の内面へとフォーカスしてきていた。
その中でハンドパンでの自己表現は最適だった。

サウンドバスセッションにて
より深く、より繊細に。
自分が人に届けたいもの。
それは当初から変わりないが、その手段は変化して来ている。
次は40代。自分の役目はさらに大きく重みを増して来ている。
世界平和を祈って。
この先も変わりたいし、変わらないでいたい。